2020年3月13日金曜日

3つの自慢と天玉丼

   
                          高42期 西影(青柳)睦子

  自転車で通える地元の高校に行くつもりだった。中学の担任の勧めでその気になった母に押されて、願書締切日に出願先を生野高校に変更して受験した。入学前から勉強に行き詰まるのは目に見えていた。元々勉強熱心ではなかったため定期テストの結果で一喜一憂することなく、3年間生野高校の底辺を支えた。私の在籍した42期は生野高校史上最多の624人いたので、私の取っていた席次はもはや誰にも破られることはない()

  そんな私だけど自慢できることが3つある。
  1つは3年間皆勤。無遅刻無欠席無早退。勉強は全くしていなかったが授業中はおとなしく座っていた。

  2つ目は宿泊校外学習火打山登頂。
当時『3』で割り切れる期の学年団は、登山が好きな教員が多く、修学旅行も宿泊校外学習という名の登山だった。朝4時起床で朝と昼のお弁当を2個持ち出発。リタイアする女子が多い中、私のいたグループは女子のトップで山頂に着いた。

  3つ目は2年合唱コンクールグランプリ曲の作詞作曲。クラス仲は良かったのでチームワークには自信があった。とにかく歌いやすい曲をと思い、わずか32小節の童謡のような歌を作った。男子にはアカペラで『ズンチャンズンチャン』歌ってもらい、途中、手拍子も入れた簡単で楽しい歌だったと自負している。
   数年前、当時のクラス同窓会の出欠連絡はがき余白に『今でも歌えます。あの歌が梅田の夜空に響きますように』と書かれていた。私が作った事を覚えてくれている人がいることが、とても嬉しかった。

   母が欠かさずお弁当を作ってくれていたので、食堂で食べた回数は片手で足りるぐらいしかない。思い出に残るメニューはただ1つ『天玉丼』。仲良しだったNくん(女子)が『めっちゃおいしいねん!』と言っていたので、どうしても食べたくて母にお弁当を休んでもらった。はっきり覚えていないが、天ぷらうどんのかき揚げの失敗(?もしかしたらただの天かすだったかも)をリメイクして、卵とじにしていた丼だったように思う。
   街の定食屋などでも『天玉丼』というメニューは見たことがないが、休日の我が家の定番メニューになっている。
   勉強したことはまるで覚えていないが、とろりとした卵とじと、サクサクの天ぷらの端っこが混じりあうあの味が、私が生野高校で過ごした証となっている。

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