2020年3月30日月曜日


架け橋

                              高23期 舩井祐次


 生野高校100年の歴史の中でいろいろと転機があったことと思いますが、旧生野校舎から現在の松原校舎へと移転したのも大きな転機でした。
  この時期つまり新旧両方の校舎に通学したのは100期ある歴史の中でも高校22期と23期のみで、我々が大きな転機の中にいたことは事実かと思います。そんな中、新校舎への移転後直ぐに経験したことは70年代の世界的なmovementとなった学生運動でした。日本でも東大医学部の改革を発端に全国規模に広がった闘争はやがて高校にまで波及し、わが校でもその100年の歴史の中で特筆すべき職員室封鎖という過激な運動に至りました。
 私自身はハンドボールに明け暮れたノンポリ的な高校生活を送っていましたが、当時を振り返ればその学生運動の結果、教師陣と学生との分断が起こり、その後私の人生の中でも長く影となった時代でもありました。
 しかし今、自分の人生を振り返った時たった3年間であったにせよ現在の年齢からの3年間ではなく15歳からの3年間は当時の私たちの人生の2割にも相当する大きな意味を持った3年間であり良いも悪いも多くの影響を生野高校で受けたことによって今日の自分があることをひしひしと感じる次第です。
 生野高校100年の歴史の中で新旧両校舎で学び、又教師陣と生徒との大きな分断の時期を経験したこの2つの期の卒業生であるからこそ、この100周年を契機に全生野の卒業生、在校生、先生方やその他の職員の方々との架け橋となりその精神の伝承の力を伝えていくことが大事であると考えています。
 絶対に譲れない大事なものを守るために新しいものを取り入れながら進化していく。それこそが保守であり、それを守る精神の継承こそが伝統であると信じます。その精神の伝承が100年も続いたことを祝い、これからの100年に繋がることを切に望みます。
 保守的とは決して消極的と同義語であってはなりません。これからも母校が常に新しいものに勇気を持って融合しながらもその大事なものを失わない強さと輝きを保ち続けて頂きたいものだ、と願ってやみません。


大阪府立大学卒業。
卒業後商事会社勤務。
最終赴任地であったロスアンゼルスにて1990年に医療機器会社を起業。
1994年、日本にてその製造輸入販売会社を設立。
株式会社シラックジャパン代表取締役社長。現在に至る。

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